l’esprit de continuer à rechercher -le spleen

ジャーナル 170513

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合併でアエルマインにいた旧友とまた一緒にゲームができるようになり,昨日もクエスト関連の呼びかけから5人8キャラでスノーフォックスへ.部屋が狭い狭い.フルでのダンジョン攻略なんて,もしかしたら何年かぶりかもしれない.

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ソリョの運と神のバフがあるスノーフォックスだったのも楽しさに拍車をかけたかもしれない.緻密な攻略と並んで,こういう馬鹿試合もこのゲームの楽しみ.

仕事の忙しさと,生活環境が変わったことへの慌ただしさとで,しばらくは週末に遊ぶかたちになりそうですが,よろしくお願いします.

ジャーナル 170502

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サーバー統合の夜.楽しみでメンテナンスのあいだパソコンに張り付いてしまった.開放後いちどバグの修正のためのシャットダウンがあったものの無事に終了.画像は再開放直後の村ザアップで,際限なくキャラクターが湧き出してくる様子.

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しかし,いま最も意気込んでいるのは商人と軍人であると思うが,自分はそのどちらでもないので,サーバーが合併したからといって新しくすることがあるわけではなかった.ただ,Aermineにいた友人と再開できたことは嬉しかった.彼らのギルドに入れてもらって,早速コロッシウム.

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2戦して1勝1敗.ソロに続いてチームでの評点も4000を超えた.低いかもしれないけど一つの目標だったので嬉しい.最近,マッチングを待っている間はよくこのマップで魚を釣っています.

自分がゲームをする理由

ふだんこのブログにはドフスというゲームや,そのスーラムというクラスについて書いているけど,そのスーラムを動かして,あるいはこのブログを書いている人間というものがいて,そして彼の実生活における2017年の目標が「エゴイストになること」である.
 
これを読んでくれている人は一緒にオンラインゲームをしている人がほとんどだと思うけど,僕たちは,キャラクターを介したコミュニケーションや,ゲームシステムによって制限された行動によってしか相手のことを知りえない.そしてその情報は,ゲーム内でどこまで自分のことを話すかという各々の態度に依存しているとはいえ,相手のごく一部に過ぎない.僕も,自分と一緒の戦闘に入る,たとえばサディダやエリオトロープといった液晶上のドットの向こうに,自分と同じように実生活を送る人間がいることを頭では理解している.でも僕は,彼(女)らの顔も名前も知らないし,人種や国籍,職業や思想信条といったものも知らない.そして同じように,向こうも僕のことを知らない.
 
オンラインゲームとはそういうものである,あるいはそのような関わり方をするためのツールであるとも言える.別にこのような関わり方を否定したいわけではないし,むしろ対戦や共闘のなかで言動をつぶさに観察することで得られる個人情報が,顔や思想信条といったもの以上に本質的になることさえあると思っている.制限されたシステムやコミュニケーションのもとで,人はどのくらい(どのように)自己を表現できるのか,しかしこの投稿では,これはこれで一考の価値があるこのテーマについて掘り下げたいわけではない.
 
要するに,自分がそういう人間であると分かってもらいたかった,というだけである.ふだんスーラムを動かしブログを書いている僕という人間が,ゲームの外の世界において,周囲に気を遣うことに疲れてしまって,好きなもの,たとえばゲームに対する気力まで萎えしぼませていたこと,そして今年のはじめに,そんな状態を終わらせようと決めて,その決意を弱めないようにあえて強い言葉を選んで自分のなかに掲げた,ということを想像してもらいたかった.上の数段落は,ドフスのことと期待して記事を開いた人たちに,いきなりこのようなことを語り出しても理解してもらえないかもしれない,という不安から払った保険のようなものであるが,ギルドのメンバーは他人への配慮のある人たちばかりなので,書くだけ野暮だったかもしれない.
 
そして,今年ももう四ヶ月が過ぎ,その目標はある程度達成できているように思える.まず,社会性があり給料も高いものの干渉や妥協が多くてストレスフルだったマネージャーの仕事を辞めた.そして,その仕事の合間を縫って個人的に進めていた努力と軌を一にするような仕事に就いた.いちどはやめたが諦めることができずまた始めたその努力とは,喩えるなら絵を描くようなことで,集中と高揚が大切になる行為である.しかし,前の仕事に就いていた頃は,そういったものはそこで必要とされる能力とは正反対のもののように,少なくとも自分には思えた.仕事のあいだはひたすら指示を送り送られ交渉し,仕事を終えたら内に籠り,感覚を研ぎ澄まして感情を高揚させることに努める,という正反対の二重生活が継続できるほどの器用さが僕にはなかった.
 
それまで僕は,かつての絵描き修行の過程で身につけた集中力や高揚感といった能力は,たとえそれをやめた後でも好きな時に取り出して行使できるものだと思っていた.それがある時から,それらが失ったら二度と取り戻せない類のもので,そして今まさに自分がそれらを手放そうとしている,という恐怖に襲われるようになった.進学や結婚以上に決定的な人生の岐路に立たされている気がして,大切なものは何だろう,ということを自問自答した末に,仕事を辞める決断をした.
 
その時期は,シャルル・ボードレールが実の母親に宛てた書簡にある,次の言葉がよく頭の中をよぎった.
 
"ぼくはただ感情の爆発によってしか,困難な状況から抜けだせません.でも生きながらぼくが何に苦しんでいるかということは,おわかりでしょうが,言い表しようがないのです."
 
「感情の爆発」ーそう,人は感情でできている.
 
人種や国籍,職業や思想信条といったものだけで人間を語ろうとしても,それは輪郭のみの素描か,それ以前のものに過ぎない.その輪郭のなかに感情を塗り重ねることによって,ようやくその人が,ドガの描く踊り子のように,生き生きと想像できるようになる.毎夜の自問自答のある瞬間に,このことと,そして自分にとっては,集中と高揚とが独特の仕方でない交ぜになったあの感情こそが,長い間親しんできた肉であり,人生の色調なのだということとが,はっきりとわかった.
 
漠然とした気恥ずかしさがあって明示することを避けている(そのせいで文章が複雑になっていることを申し訳なく感じる)が,その新しい仕事,絵を描くことと比喩されている行為は,やはりゲームとは何の関係もない.しかしそれをそれが必要とする能力によって語ったことで,かえってそれが極めてゲームに似ていることに気が付かされる.それらは表面上用いる用語や技術こそまったく違えど,それをするときの精神の状況はよく似ている.緊張と高揚というのは,まんまゲームにおける狩りの感覚である.これが,自分がゲームをする理由なのだと思う.ゲームにおいては,繰り出す攻撃や,相手からの被弾,およびそれを当て当たるまいとする一挙手一投足が,感情を運ぶ筆となる.それによって集中と高揚が深まっていくあの感覚が好きで別れ難く,できることならずっとあの感覚のなかに浸っていたいし,それを妨げようとするものからは遠ざかっていたいのである.
 
思い返すと,僕はそれ以外にも様々な感情を用いて,生まれてからずっと,自らを描き続けてきたのだった.走っているときの苦痛と,それを受け容れる余裕,万能感.女性に手紙を書いているときの,言葉が事実よりも早く伝わることへの悔しさと切なさ.夜中に音楽を聴いているときの,血管が皮膚をつきやぶって宇宙に伸びていくイメージ…それらの重なりとして,いま自分は存在している.たぶん,色の濃淡や寒暖といったものよりは,筆の置き方のほうが大切なのだろう.つまり,自己の内に湧き出した感情を,どれだけ繊細に扱ったかである.それは他人と共有することができないから.
 
ところで,その新しい仕事は,そのような集中のなかで掴み取ったものの価値を他の人に認めさせる,という形式で成り立っている(蛇足だけど,転職に際して下がることを覚悟していた給料は,幸運にもかなり上がった).それをするときの内的なプロセスは,ゲームのそれと何らの違いはないが,目下それらの間に社会的な繋がりはない.つまりこれは自分だけが秘めている内的なバイパスということになる.僕はそのバイパスを使って,いわば能力の翻訳を行なっている.
 
ゲームにおける向上とは,未知の世界を開拓していく気概と能力を培うことだ.自分を投影するキャラクターの動きが記述される力学に精通して,その法則下におけるより合理的な動きを追求し,その世界の美を表現すること.幼い頃から,いくつかのゲームに寝食を忘れるほど熱中することで培ったそれらの能力が,不思議なことに現実の世界における未知の圏域や法則を知ろうとするときにも役に立った.ゲームは現実の一部だから,当たり前といえば当たり前なのかもしれないけれど.たとえば将棋の強い人がチェスも強かったり,ピアノの上手な人がアコーディオンも弾けるというような,一般的にはすぐに了承されるような事実と同じように,ゲームができる人は絵も描くことができる,ということを,それらを同じ感情で塗りつぶしてきてしまった自分自身を担保にして納得したい.
 
社会的な繋がりがないために,ゲームだけをやっているわけにはいかないのだろうけど,かといって自分を描くための筆の一本をわざわざ折る必要もなければ,自分のなかに走る可能性のバイパスのひとつを自分から塞ぐ理由もない.僕はこれからも,遊ぶように生きていたいし,生きるように遊んでいたい.

"ゴーマルハチ"について

フリゴストあたりを歩いていると,このようなシャウトを耳にすることがある.
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この"508"というのは,レベリングの際によく用いられるあるアイドルの構成を指す.そのスコアが508なので,そのままその構成を指すようになったらしい.上のシャウトは,この508を使って化石の森でレベリングするためのアタッカー2人募集,といったところ.アイドルスコアの高い戦闘においては,ひとつのミスから全滅することも珍しくないため,各キャラクターの動きは戦闘前にかなり厳密に決められるが,"508"の募集は,それが暗黙の前提としてなされるため,知らずに入ると白い目で見られてしまうかもしれない.

いまギルドに199のメンバーがおり,また自分自身も育てたいキャラがいるため,この構成を共有できないかと思い,調べた.

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Aroumb:ターンエンド時,そのマスの直線上にいる敵が回復する.
Hoskar:敵または味方の直線上でターンエンドすると,HPの50%を失う.
Muta:敵と隣接しないでターンエンドすると,HPの50%を失う.
Ougaa:敵と隣接してターンエンドすると,HPの50%を失う.
Proxima:敵を倒した時に,その敵と隣接している味方は即死する.
Ultram:味方のターン開始時に足元にグリフが生成され,そのグリフ上でターン開始またはターンエンドした敵が無敵状態になる.

MutaとOugaaの組み合わせのせいで,どこでターンを終えても必ずHPが半分になるが,特に敵と隣接した場合はHoskarの効果でHPはさらに半分になり,かつAroumbが敵を回復してしまう.敵の一撃一撃が致命傷になるほか,Proximaによる味方の即死とUltramによる敵の無敵化も起こりやすくなるので,近接戦闘は避け,敵から離れて一方的に攻撃する遠距離用の構成である,

 戦略としては,初期位置が近距離や乱戦になっているマップを避けた上で,敵の攻撃を喰らわないよう,MPやレンジを削ったり追い返しながら.敵の直線上でターンを終えないことだけ気をつけていればよい(味方の直線上で終わるとHoskarが発動するが,攻撃さえ喰らわなければよい)が,反面,近距離戦闘向けのクラスは活躍が難しいかもしれない.

追伸.ProximaをDakidに変えることで,スコアが521まで上がるとのこと.
Dakid:敵を攻撃した際,斜めを含む直線上にいる味方がその敵に誘引される.
これを使う場合は,ターンエンドに関する注意のほか,直線上の敵や,斜めを含む直線上に味方がいる敵を攻撃しない,ということにも気をつける必要がある.

自分はエヌを出せるので,この構成で一緒にレベリングしてくれるメンバーを募集しています.