l’esprit de continuer à rechercher -le spleen

パリのメトロにて

夜,いつものようにメトロに乗って帰ろうと,改札へと続く階段を降りていると
そこで僕を足早に追い抜いた,やはり僕と同じくらいの年齢だろう,肩までのばした栗色の髪の女性が
階段の踊り場で立ち止まり,おやと思いながらもふたたび追い抜こうとした僕に向かって話しかけてきた.
 
付けていたイヤホンを外して「どうしたの?」と,そこで初めてまじまじと見たその顔の
今までに見てきたパリの女性たちの中でもひときわ印象深く残るような美しさに,少し惚けたような間をあけて尋ねた僕に,彼女は
Est-ce que tu passes avec moi? (一緒に通らない?)
と切り出した.
 
日本と違って,パリのメトロの出口には改札がない.
入口の機械に通すともう用済みになってしまう切符をすぐに捨ててしまう人もいるし
僕のように何となく捨てられずに,部屋に山ほど溜め込んでいる人もいるかもしれない.
入口さえ突破できれば簡単にキセルができてしまうから
観光客の対応に追われる駅員の目を盗んで,ドアをこじあけたり他人の背中に張り付いていく人を何度か見たことがある.
そして彼女もまた,僕の背中に付かせてくれと頼んできたのだった.
 
Non, non, je ne peux pas t'aider. (いやいや,君を助けることはできないよ.)
僕はフランスの法律には暗く,日本でダメなことはここでもダメ,で今まで何とかなってしまっていたのだけど
でもだからこそ,もしバレれば自分にも幇助罪のようなものが適用されるのかもしれないし
そうなったら外国人である自分に対して相当重い処分が下されるのは間違いのないことのように思えた.
 
ところが,彼女は他の人にあたらずに,改札へ向かって歩く僕の横にあくまでも付いてきて.
A moitié. (半分ずつ出しましょう)
と,譲歩の意志をみせる.
Pas de problème de l'argent. Je ne veux pas faire un crime.
(お金の問題じゃないんだ.犯罪をしたくないんだよ.)
ーEt puis, j'ai acheté le carnet ce matin.
(それにちょうど今朝,カルネ(10枚綴りの回数券)を買っちゃったんだ.)
 
いまにして思うとカルネは誘いを断る口実にはならず,むしろじゃあそれで通る後ろに付かせろ,と言われてしまいそうなものだけど
とにかくもう僕たちは改札の前で立ち止まっていて,暇そうな駅員がこちらを見ているのにも,二人とも気づいていた.
アジア人の男性が白人の美女に追いかけられ,何やら懇願されている状況を,彼は羨望というよりは不審の眼をもって眺めていただろう.
僕は,そうだ,こんな体験をすることはお前の人生においてもう二度とないのだか
内容には目をつぶって,男として彼女の望みを受けてやるべきなのではないのか,そんな馬鹿げたことを考えた後でではあるけれど
そんな彼女の自暴自棄なこころに,ふっと悲しい気持ちになってしまって
C'est bon, je donne un billet, passons séparément.(わかったよ,これあげるから,別々に通ろう.)
そう言ってカルネの束から取り出した二枚のうち一枚を彼女に渡すと,きょとんとしている彼女から素早く離れて,ひとり先に改札を通った.
 
数秒遅れて改札を通ると,彼女はその場で待っていた僕に向かって
Merci beaucoup. C'est gentil. (どうもありがとう.優しいのね.)
と,数秒前まで他人を犯罪へと誘惑していたことが嘘のような瑞々しい笑顔で言って,僕にビズをした.
すると今度は,それを至近距離でもらってしまったうえに
元々そのような,ある意味で女性らしい気持ちの切り替え方の心得がなくて自暴自棄になってしまったのか,僕のほうが
De rien. C'est un cadeau pour ta beauté. (何でもないよ.君が美人だからプレゼントしただけだよ.)
と返して,それを苦笑いに変えてしまった.
 
結局,路線の違う彼女とはそこで別れ
自分自身予想もつかなかった返答のことを思い出して,ひとり車内で笑ってしまうことを堪えながらも
改札の前で襲われた悲しみがまだこびりついてもいて,僕はそれを流すために笑ってしまうのもいいと思った.
 
本当にお金がなかったのなら,それはそれで悲しいことだけど
身なりもちゃんとしていた彼女が,どうしてたかだか1.7ユーロのためにあれほど頑なになったのだろう.
恥ずかしさの感覚や他人の立場を考えることを忘れて,自分のしたいことをすることに,躊躇いがなくなったのだろう.
 
パリに住んでいると,見ず知らずの他人に話し掛けられることは日常的にある.
でもそこには必ず,程度の違いはあれど「助けて欲しい」というニュアンスが込められているように感じる.
「道が分からない」「ペンを貸してほしい」から,「食べるものがない」「大切な家族が死んだ」まで.
日本では隠されがちな「生きる」という人間のいちばんの営為が,この街では剥き出しになっていて
見知らぬ他人に話し掛けられ,その生を目の当たりにすることで,自分のそれも意識せざるを得なくなる.
僕は,パリでほんとうに観るべきはルーヴルでも凱旋門でもなく,そのような人の生の有りようなのではないかと思う.
(芸術作品も建造物も生の変態の一種に違いない.)
 
そう考えると,彼女もほんとうは「助けて欲しい」と僕に求めていたのかもしれない.
1.7ユーロをなんとかしてほしい,という表層上の求めと,しかしそれをするときの頑なさとをつたって
彼女の中を,住んでいる街や肌の色が彼女に影響を及ぼしている圏域を越えて深く潜っていくと
その一番奥に,「女性としての」としか言いようのない,彼女の固有の求めがあるのだろうか.
それが「助けて欲しい」という響きをもっていることに彼女自身気づいていないかもしれないし
そのことを指摘すれば怒りさえするかもしれないような.
 
でも,実際にその根源を探っていくためには,もう少し彼女と話す必要があっただろう.
美人だからというわけではないけれど,いやそうなんだけれど
思い出し笑いの発作が落ち着いたメトロの車内で,ダメもとで彼女を誘えばよかったと後悔したことを,ここに告白する.
けれど,もし誘いが受け入れられても,彼女と食事やその後の行為を心から楽しむことは難しいだろうな.
何しろ,僕は誘うよりも前に,彼女の誘いを断っているのだ.
だから,改札の扉を開けて現れたときの彼女が僕に見せたあの笑顔だけで
この悲しい気持ちの,そして1.7ユーロの元はじゅうぶん取れているのだと思うことにした.

そんな,最近パリに住み始めたアジア人の,というよりはひとりの男性の,馬鹿な独り言でした.